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雲居寺(うんごじ)は、中華人民共和国北京市房山区の白帯山(山腹に白帯のような雲が廻ったことによる名であり、別名を石経山とも)の西南麓に位置する寺院(北京市の城区から75km)である。別名を「西域寺」(正式には「西域雲居禅林」)とも称している。旧来の建築物は、日中戦争時期に破壊され、僅かに塔数座と蔵経洞中の石経を残すのみであった。1961年に、雲居寺塔と石経が、第一批国家重点文物保護単位に指定された。 == 歴史 == 雲居寺は、隋代の高僧静琬が建立した寺で、山麓沿いに建築物が建立された。静琬は、南北朝の廃仏中に多くの仏経が破壊されたが、石刻の仏経(=石経)の多くは破壊を免れたことを教訓に、山上に石を鑿って石室を造り、石経を作成し仏経を保存した。唐の開元年間と遼代に刻経活動は最盛期を迎え、唐代には玄宗によって『開元大蔵経』が雲居寺に下賜され、刻経の底本とされた。 遼代には、『契丹蔵(契丹版大蔵経)』を底本とした刻経が行われた。今日では、その双方の大蔵経が亡佚したため、雲居寺の石経は、その他の版本と校勘する際の一次史料とされている。刻経が盛んに行われ遼代には蔵経洞に石経を収容しきれない状況となったため、山麓に別の石室を穿ち、石経を安置した。刻経活動は、明代まで継続され、刻造された石経は計14,278枚に及んでいる。 石経のほか、唐代の塔が7座、遼代の塔が5座遺されている。1981年11月27日、蔵経洞の中の「雷音洞」の修復を進行中に、一つの套函を発見し、その中から2顆の釈迦牟尼仏の肉身舎利とされるものを発見した。1999年、雲居寺所蔵の遼金石経は、保護処置を完了し、全て又、地中に埋め戻された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「雲居寺 (北京市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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